5. 松代城(海津城)跡 その1 [2011 長野]
2011年5月21日(土)~5月22日(日) 長野旅行記
ましゃの「長野エムウェーブ」ライヴに参加するため、
長野県へ行ってきました^^ の続き。
松代駅からまず最初に向かったのは、駅の裏側、松代の街とは
反対側にある「松代城(海津城)跡」。
戦国時代に武田信玄によって築城され、
江戸時代は松代藩主・真田家の居城だった「松代城」。
築城された当時は「海津城」と呼ばれていたようです。
戦国時代から江戸時代初頭までこの地を支配した武田信玄や
上杉景勝などにとって、松代城(海津城)は、北信濃を支配する上での
軍事的・政治的に重要な拠点だったとのこと。
江戸時代末期の松代城のイメージ図。
お城は明治の廃城により壊され、石垣を残すのみとなっていたけれど、
昭和56年(1981年)に国の史跡に指定され、平成16年(2004年)に、
櫓門や木橋、石垣、土塁、堀などが復元されたとのこと。
お堀。
周辺は、緑がいっぱい^^
太鼓門前橋。
本丸の正面にある「太鼓門」。
海津城址の碑。
つづく
ましゃの「長野エムウェーブ」ライヴに参加するため、
長野県へ行ってきました^^ の続き。
松代駅からまず最初に向かったのは、駅の裏側、松代の街とは
反対側にある「松代城(海津城)跡」。
戦国時代に武田信玄によって築城され、
江戸時代は松代藩主・真田家の居城だった「松代城」。
築城された当時は「海津城」と呼ばれていたようです。
戦国時代から江戸時代初頭までこの地を支配した武田信玄や
上杉景勝などにとって、松代城(海津城)は、北信濃を支配する上での
軍事的・政治的に重要な拠点だったとのこと。
江戸時代末期の松代城のイメージ図。
お城は明治の廃城により壊され、石垣を残すのみとなっていたけれど、
昭和56年(1981年)に国の史跡に指定され、平成16年(2004年)に、
櫓門や木橋、石垣、土塁、堀などが復元されたとのこと。
お堀。
周辺は、緑がいっぱい^^
太鼓門前橋。
本丸の正面にある「太鼓門」。
海津城址の碑。
つづく
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