SSブログ

22. JEATH戦争博物館 [2012 タイ・バンコク]

2012年7月13日(金)~7月17日(火) タイ・バンコク旅行記

7月15日(日)
この日も、Alan1.netで予約しておいた1日ツアーに参加しました^^
カンチャナブリ+ナコーンパトム観光ツアー。
昼食付で、2,000バーツ(=5,187円)。 の続き。

ナコーン・パトムの「プラ・パトム・チェディ」でお参りした後は、カンチャナブリへ。

P1290129-2.jpg
最初に、「JEATH戦争博物館」へ行きました。
この博物館は、第2次世界大戦中の1942年から1943年にかけて日本軍に
よって行なわれた泰緬鉄道建設に関する遺品などが展示・保存されています。

P1290115-2.jpg
「死の鉄道」とも言われている「泰緬鉄道」、博物館の名称に、
「DEATH」を用いるのは、あまりに残酷な印象を与えてしまうからと、
泰緬鉄道敷設の当事国「日本」、建設に携わった捕虜兵の国「イギリス」
「アメリカ」「オーストラリア」「オランダ」、そして建設地「タイ」の頭文字を取って、
「JEATH」という名称にしたのだそうです。

P1290125-2.jpg
館内には、捕虜収容所で使われていた生活用具や連合国軍捕虜の写真、
彼らが描いた記録絵などが並べられていました。

P1290123-2.jpg
博物館の竹造りの建物は、当時の捕虜の住居を忠実に再現したものだとか。

P1290117-2.jpg
見学者は何故か欧米人ばかりで、日本人は私たちだけ。
展示品を見ながら、あまりに酷すぎる内容に、苦しくてたまらなかった。
まわりにいる欧米人たちに、自分が日本人だとバレなきゃいいなと思ってしまい、
さらに罪悪感・・・。
当時の日本人は、どうしてここまで惨いことが出来たのでしょう。
教育(洗脳?)次第で、人間はどうにでもなってしまうのでしょうか。

P1290122-2.jpg
当時、日本陸軍の通訳としてこの地に派遣され、戦後、ジャングルにある
埋葬場所の発掘、カンチャナブリの貧困学生に対する募金活動などを行った
という永瀬隆さんの銅像。

P1290119-2.jpg
博物館の敷地から見ることが出来るメー・クロン川。

P1290121-2.jpg
連合国軍捕虜だけでなく、強制的に労働者とされたアジアの方々のことも、
もっと知られるようにならないといけないですね。
複雑な気持ちを落ち着かせようと、しばらく川を眺めていました。

P1290127-2.jpg
博物館の敷地内を歩き回っていたニワトリさん^^
JEATH戦争博物館での見学時間は、9:45~10:15の30分間でした。

つづく

コメント(2) 
共通テーマ:旅行

コメント 2

デルフィー

日本人はもっと当時の事を知らないとですね(´・ω・`)
by デルフィー (2014-10-14 08:41) 

サバーチカ

☆これを教訓に平和が続いてほしいですね~
見学中にトラブルがなくてなによりでした~

by サバーチカ (2014-10-14 22:15) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。


こちさの旅の記録(2011~2013)
こちさの旅の記録(2014~2017)
こちさの旅の記録(2018~