7. 松代 長国寺 [2011 長野]
2011年5月21日(土)~5月22日(日) 長野旅行記
ましゃの「長野エムウェーブ」ライヴに参加するため、
長野県へ行ってきました^^ の続き。
松代城(海津城)跡の次に訪れたのは長国寺。
真田家の菩提寺として創建され、歴代松代藩主の墓所でもある長国寺。
敷地の奥にある真田家霊屋と真田家墓所の拝観は可能だけど、
要予約だったみたい。
曹洞宗真田山(しんでんざん)長国寺。
境内のお参りだけさせていただきました。
長野県長野市松代町 長国寺(ちょうこくじ)
本堂。 屋根の上には真田家所縁の鯱と六文銭。
本堂の扁額。
緑の中に少しだけ見えるのが真田家霊屋。
つづく
ましゃの「長野エムウェーブ」ライヴに参加するため、
長野県へ行ってきました^^ の続き。
松代城(海津城)跡の次に訪れたのは長国寺。
真田家の菩提寺として創建され、歴代松代藩主の墓所でもある長国寺。
敷地の奥にある真田家霊屋と真田家墓所の拝観は可能だけど、
要予約だったみたい。
曹洞宗真田山(しんでんざん)長国寺。
境内のお参りだけさせていただきました。
長野県長野市松代町 長国寺(ちょうこくじ)
本堂。 屋根の上には真田家所縁の鯱と六文銭。
本堂の扁額。
緑の中に少しだけ見えるのが真田家霊屋。
つづく
THE LIVE BANG!! 横浜アリーナ [福山雅治2011]
5月25日(水)、26日(木)、29日(日)
ましゃの「横浜アリーナ」LIVEに参加してきました
5月25日(水) センター36列 はじっこの方
5月26日(木) アリーナB 17列 ステージ正面ブロック
5月29日(日) アリーナE 9列 サイドステージ前
やっぱり、4日間とも参加したかったな・・・。
ましゃの「横浜アリーナ」LIVEに参加してきました
5月25日(水) センター36列 はじっこの方
5月26日(木) アリーナB 17列 ステージ正面ブロック
5月29日(日) アリーナE 9列 サイドステージ前
やっぱり、4日間とも参加したかったな・・・。
6. 松代城(海津城)跡 その2 [2011 長野]
2011年5月21日(土)~5月22日(日) 長野旅行記
ましゃの「長野エムウェーブ」ライヴに参加するため、
長野県へ行ってきました^^ の続き。
太鼓門から本丸に入ってみたけれど、建物は何もありません。
江戸時代の様相を忠実に再現した「戌亥櫓台(いぬいやぐらだい)石垣」。
展望台として整備されていて上がることが出来ます^^
戌亥櫓台の上から眺めた本丸。
本丸搦手(裏側)にある「北不明門(きたあかずもん)」。
北不明門の全景。
当時は、天然の要塞である千曲川に接していたとのこと。
再び本丸に戻り、
東不明門前橋。
発掘調査により折れた橋脚が発見されたとのこと。
これで「松代城(海津城)跡」の観光は終了。
松代の街の方へ向かいました。
つづく
ましゃの「長野エムウェーブ」ライヴに参加するため、
長野県へ行ってきました^^ の続き。
太鼓門から本丸に入ってみたけれど、建物は何もありません。
江戸時代の様相を忠実に再現した「戌亥櫓台(いぬいやぐらだい)石垣」。
展望台として整備されていて上がることが出来ます^^
戌亥櫓台の上から眺めた本丸。
本丸搦手(裏側)にある「北不明門(きたあかずもん)」。
北不明門の全景。
当時は、天然の要塞である千曲川に接していたとのこと。
再び本丸に戻り、
東不明門前橋。
発掘調査により折れた橋脚が発見されたとのこと。
これで「松代城(海津城)跡」の観光は終了。
松代の街の方へ向かいました。
つづく
5. 松代城(海津城)跡 その1 [2011 長野]
2011年5月21日(土)~5月22日(日) 長野旅行記
ましゃの「長野エムウェーブ」ライヴに参加するため、
長野県へ行ってきました^^ の続き。
松代駅からまず最初に向かったのは、駅の裏側、松代の街とは
反対側にある「松代城(海津城)跡」。
戦国時代に武田信玄によって築城され、
江戸時代は松代藩主・真田家の居城だった「松代城」。
築城された当時は「海津城」と呼ばれていたようです。
戦国時代から江戸時代初頭までこの地を支配した武田信玄や
上杉景勝などにとって、松代城(海津城)は、北信濃を支配する上での
軍事的・政治的に重要な拠点だったとのこと。
江戸時代末期の松代城のイメージ図。
お城は明治の廃城により壊され、石垣を残すのみとなっていたけれど、
昭和56年(1981年)に国の史跡に指定され、平成16年(2004年)に、
櫓門や木橋、石垣、土塁、堀などが復元されたとのこと。
お堀。
周辺は、緑がいっぱい^^
太鼓門前橋。
本丸の正面にある「太鼓門」。
海津城址の碑。
つづく
ましゃの「長野エムウェーブ」ライヴに参加するため、
長野県へ行ってきました^^ の続き。
松代駅からまず最初に向かったのは、駅の裏側、松代の街とは
反対側にある「松代城(海津城)跡」。
戦国時代に武田信玄によって築城され、
江戸時代は松代藩主・真田家の居城だった「松代城」。
築城された当時は「海津城」と呼ばれていたようです。
戦国時代から江戸時代初頭までこの地を支配した武田信玄や
上杉景勝などにとって、松代城(海津城)は、北信濃を支配する上での
軍事的・政治的に重要な拠点だったとのこと。
江戸時代末期の松代城のイメージ図。
お城は明治の廃城により壊され、石垣を残すのみとなっていたけれど、
昭和56年(1981年)に国の史跡に指定され、平成16年(2004年)に、
櫓門や木橋、石垣、土塁、堀などが復元されたとのこと。
お堀。
周辺は、緑がいっぱい^^
太鼓門前橋。
本丸の正面にある「太鼓門」。
海津城址の碑。
つづく
4. 上田から松代へ [2011 長野]
2011年5月21日(土)~5月22日(日) 長野旅行記
ましゃの「長野エムウェーブ」ライヴに参加するため、
長野県へ行ってきました^^ の続き。
真田神社でお参りした後、上田駅に戻り、電車で松代へ移動。
上田駅9:47発→屋代駅10:10着 しなの鉄道 430円
屋代駅10:14発→松代駅10:27着 長野電鉄 390円
松代駅に駅員さんがいるのは、電車の発着があるときだけみたいです。
道を尋ねようと2・3分後に駅舎に戻ったのですが、
誰もいませんでした・・・(^^;
つづく
ましゃの「長野エムウェーブ」ライヴに参加するため、
長野県へ行ってきました^^ の続き。
真田神社でお参りした後、上田駅に戻り、電車で松代へ移動。
上田駅9:47発→屋代駅10:10着 しなの鉄道 430円
屋代駅10:14発→松代駅10:27着 長野電鉄 390円
松代駅に駅員さんがいるのは、電車の発着があるときだけみたいです。
道を尋ねようと2・3分後に駅舎に戻ったのですが、
誰もいませんでした・・・(^^;
つづく
3. 上田 真田神社 [2011 長野]
2011年5月21日(土)~5月22日(日) 長野旅行記
ましゃの「長野エムウェーブ」ライヴに参加するため、
長野県へ行ってきました^^ の続き。
上田城跡の次は、真田神社へ行きました。
上田城本丸の敷地内にある真田神社。
眞田神社の文字の上には、真田家の家紋である六文銭。
智恵の神社・眞田神社の由緒について書かれてあります。
お参りして御朱印をいただきました。
長野県上田市 眞田神社(さなだじんじゃ)
真田幸村の赤兜をかたどった赤備え守り兜。
倒木の危険から伐採した推定樹齢450年の御神木「真田杉」が材料。
神社と神社事務所をつなぐ橋の下をくぐって神社裏へ。
神社の裏にある真田井戸。
城北にあった太郎山の砦に通じている抜け穴だったようです。
つづく
ましゃの「長野エムウェーブ」ライヴに参加するため、
長野県へ行ってきました^^ の続き。
上田城跡の次は、真田神社へ行きました。
上田城本丸の敷地内にある真田神社。
眞田神社の文字の上には、真田家の家紋である六文銭。
智恵の神社・眞田神社の由緒について書かれてあります。
お参りして御朱印をいただきました。
長野県上田市 眞田神社(さなだじんじゃ)
真田幸村の赤兜をかたどった赤備え守り兜。
倒木の危険から伐採した推定樹齢450年の御神木「真田杉」が材料。
神社と神社事務所をつなぐ橋の下をくぐって神社裏へ。
神社の裏にある真田井戸。
城北にあった太郎山の砦に通じている抜け穴だったようです。
つづく
2. 上田城跡 [2011 長野]
2011年5月21日(土)~5月22日(日) 長野旅行記
ましゃの「長野エムウェーブ」ライヴに参加するため、
長野県へ行ってきました^^ の続き。
上田城跡は、上田駅から歩いて12分くらい。
本丸のお堀。
本丸への入り口「東虎口櫓門」と「北櫓」。
東虎口櫓門横にある高さ2.5m、幅3mの巨石「真田石」。
東虎口櫓門から続く「南櫓」。
真田神社の裏にある「西櫓」。
西櫓の近くまで行ってみたけれど、ここで行き止まり・・・。
東虎口櫓門を出て、上田駅方面に歩いたところにある「平和の鐘」。
つづく
ましゃの「長野エムウェーブ」ライヴに参加するため、
長野県へ行ってきました^^ の続き。
上田城跡は、上田駅から歩いて12分くらい。
本丸のお堀。
本丸への入り口「東虎口櫓門」と「北櫓」。
東虎口櫓門横にある高さ2.5m、幅3mの巨石「真田石」。
東虎口櫓門から続く「南櫓」。
真田神社の裏にある「西櫓」。
西櫓の近くまで行ってみたけれど、ここで行き止まり・・・。
東虎口櫓門を出て、上田駅方面に歩いたところにある「平和の鐘」。
つづく
1. 上田駅 [2011 長野]
2011年5月21日(土)~5月22日(日) 長野旅行記
ましゃの「長野エムウェーブ」ライヴに参加するため、
長野県へ行ってきました^^
長野新幹線 あさま505号 東京駅7:24発→上田駅8:36着。
えきねっとの割引きっぷ「トクだ値」で購入できたので、
通常なら6,490円のところ5,180円で行くことが出来ました。
上田駅。
駅を出たらすぐ目の前に、こんな垂れ幕。
真田三代の郷。信州上田へようこそ。
駅前広場にある真田幸村公像。
上田城築城400年を記念して作られたものだとか。
同じく駅前広場にある水車。
つづく
ましゃの「長野エムウェーブ」ライヴに参加するため、
長野県へ行ってきました^^
長野新幹線 あさま505号 東京駅7:24発→上田駅8:36着。
えきねっとの割引きっぷ「トクだ値」で購入できたので、
通常なら6,490円のところ5,180円で行くことが出来ました。
上田駅。
駅を出たらすぐ目の前に、こんな垂れ幕。
真田三代の郷。信州上田へようこそ。
駅前広場にある真田幸村公像。
上田城築城400年を記念して作られたものだとか。
同じく駅前広場にある水車。
つづく
THE LIVE BANG!! 長野エムウェーブ [福山雅治2011]
5月21日(土)、22日(日)
ましゃの「長野エムウェーブ」LIVEに参加してきました
エムウェーブの「M」は、雅治の「M」~
5月21日(土) アリーナ38列 中央付近
5月22日(日) アリーナ16列 はじっこの方
長野から東京へ帰る長野新幹線、バンドメンバーの方々と一緒でした。
長野駅のホームでも、東京駅のエスカレーターでも、私の目の前にいらしたのに、
全く声を掛けられなかった小心者の私・・・(^^;
ましゃの「長野エムウェーブ」LIVEに参加してきました
エムウェーブの「M」は、雅治の「M」~
5月21日(土) アリーナ38列 中央付近
5月22日(日) アリーナ16列 はじっこの方
長野から東京へ帰る長野新幹線、バンドメンバーの方々と一緒でした。
長野駅のホームでも、東京駅のエスカレーターでも、私の目の前にいらしたのに、
全く声を掛けられなかった小心者の私・・・(^^;
16. ヴィエリチカ岩塩採掘場 その3 [2011 ポーランド・スロバキア・ハンガリー]
2011年4月28日(木)~5月6日(金)
ポーランド・スロバキア・ハンガリー旅行記
5月1日(日)
ヴィエリチカ岩塩採掘場、英語ツアーの続き。
岩塩採掘場での作業は常に危険が伴うため、無事を祈るために、
地下には幾つもの礼拝堂が造られたのだそう。
こちらは、THE HOLY CROSS CHAPEL。
そして、ここが最大の見どころ、SAINT KINGA'S CHAPEL。
この聖キンガ礼拝堂は、造られた礼拝堂のなかで一番の大きさで、
地下100mの場所にあるのだそう。
この規模の礼拝堂が地下に存在し、すべてが塩で出来ている、
とても信じられないです。
壁の細かい装飾は、塩を彫って作ったもの。
これも塩。
こちらも塩。
中央祭壇も岩塩で造られています。
左側の装飾は、塩で出来た「最後の晩餐」。
どれもこれも素晴らしいものばかりなのだけど、
これらを作ったのは芸術家ではなく、ここで働いていた鉱夫たち。
危ない仕事をしなくても、芸術家で生きていけそうな器用さです。
塩で出来たシャンデリアも豪華!!
最大の見どころ「聖キンガ礼拝堂」の後も、まだ見学は続きます。
つづく
続きはこちら
https://kochisa-tabi.blog.ss-blog.jp/archive/20110629
ポーランド・スロバキア・ハンガリー旅行記
5月1日(日)
ヴィエリチカ岩塩採掘場、英語ツアーの続き。
岩塩採掘場での作業は常に危険が伴うため、無事を祈るために、
地下には幾つもの礼拝堂が造られたのだそう。
こちらは、THE HOLY CROSS CHAPEL。
そして、ここが最大の見どころ、SAINT KINGA'S CHAPEL。
この聖キンガ礼拝堂は、造られた礼拝堂のなかで一番の大きさで、
地下100mの場所にあるのだそう。
この規模の礼拝堂が地下に存在し、すべてが塩で出来ている、
とても信じられないです。
壁の細かい装飾は、塩を彫って作ったもの。
これも塩。
こちらも塩。
中央祭壇も岩塩で造られています。
左側の装飾は、塩で出来た「最後の晩餐」。
どれもこれも素晴らしいものばかりなのだけど、
これらを作ったのは芸術家ではなく、ここで働いていた鉱夫たち。
危ない仕事をしなくても、芸術家で生きていけそうな器用さです。
塩で出来たシャンデリアも豪華!!
最大の見どころ「聖キンガ礼拝堂」の後も、まだ見学は続きます。
つづく
続きはこちら
https://kochisa-tabi.blog.ss-blog.jp/archive/20110629
15. ヴィエリチカ岩塩採掘場 その2 [2011 ポーランド・スロバキア・ハンガリー]
2011年4月28日(木)~5月6日(金)
ポーランド・スロバキア・ハンガリー旅行記
5月1日(日)
ヴィエリチカ岩塩採掘場、英語ツアーの続き。
トロッコのレール。
お馬さんのお世話の様子かな?
壁の塩の結晶がスゴイ。
あちこちでお馬さんが活躍していたようです。
塩で出来た王様の像。
こんなところを歩きながらの見学です。
これは何をしているんだろ?
通路にも同じようなものがあったけど・・・。
とにかく大変な作業だったことは伝わってきます。
あちこち見どころがいっぱい。
理解できない英語ガイドだったから良かったものの、
日本語ガイドだったら、もっとじっくり見ちゃったりして、
丸1日使っても見終わらなそうな気がする・・・(^^;
つづく
ポーランド・スロバキア・ハンガリー旅行記
5月1日(日)
ヴィエリチカ岩塩採掘場、英語ツアーの続き。
トロッコのレール。
お馬さんのお世話の様子かな?
壁の塩の結晶がスゴイ。
あちこちでお馬さんが活躍していたようです。
塩で出来た王様の像。
こんなところを歩きながらの見学です。
これは何をしているんだろ?
通路にも同じようなものがあったけど・・・。
とにかく大変な作業だったことは伝わってきます。
あちこち見どころがいっぱい。
理解できない英語ガイドだったから良かったものの、
日本語ガイドだったら、もっとじっくり見ちゃったりして、
丸1日使っても見終わらなそうな気がする・・・(^^;
つづく
14. ヴィエリチカ岩塩採掘場 その1 [2011 ポーランド・スロバキア・ハンガリー]
2011年4月28日(木)~5月6日(金)
ポーランド・スロバキア・ハンガリー旅行記
5月1日(日)
ヴィエリチカ岩塩採掘場、朝9時からの英語ツアーに参加しました。
木の階段を下に下に降りて行き、見学スタート。
彼女が英語ツアーのガイドさん。
分かりやすく丁寧に話してくださってる感じだったけれど、
それでも半分も聞き取れなかった・・・(^^;
見学通路の周りは、興味をそそるものがいっぱい。
道具などがそのまま残されています。
壁や天井は、塩の結晶がいっぱい。
岩塩で作られた彫像。
キンガ姫の像も岩塩。
岩塩採掘作業の様子は人形を使って再現されています。
こんな地下深いところに、お馬さんも持ち込まれていたんですね~。
これは、坑内で引火の可能性があるメタンガスを測る作業なのだそう。
つづく
ポーランド・スロバキア・ハンガリー旅行記
5月1日(日)
ヴィエリチカ岩塩採掘場、朝9時からの英語ツアーに参加しました。
木の階段を下に下に降りて行き、見学スタート。
彼女が英語ツアーのガイドさん。
分かりやすく丁寧に話してくださってる感じだったけれど、
それでも半分も聞き取れなかった・・・(^^;
見学通路の周りは、興味をそそるものがいっぱい。
道具などがそのまま残されています。
壁や天井は、塩の結晶がいっぱい。
岩塩で作られた彫像。
キンガ姫の像も岩塩。
岩塩採掘作業の様子は人形を使って再現されています。
こんな地下深いところに、お馬さんも持ち込まれていたんですね~。
これは、坑内で引火の可能性があるメタンガスを測る作業なのだそう。
つづく
13. ポーランド ヴィエリチカへ [2011 ポーランド・スロバキア・ハンガリー]
2011年4月28日(木)~5月6日(金)
ポーランド・スロバキア・ハンガリー旅行記
5月1日(日)
朝6:15起床、ホテルにて朝食。
この日は、クラクフの南東15Kmほどのところにある
小さな町ヴィエリチカへ行きました。
ヴィエリチカ方面へ行くバスの乗り場は、クラクフ本駅の
前にあるショッピングセンターの裏あたりにあります。
駐車場のようなスペース内で、とても分かりづらいです。
ヴィエリチカ行きのバス停で、
前日アウシュビッツで知り合った日本人の男の子と再会。
せっかくなので、一緒にヴィエリチカ観光をすることにしました。
クラクフ本駅前8:05発→ヴィエリチカ8:25着
バス運賃 3ズロチ(≒106円)
ヴィエリチカ岩塩採掘場。
1250年頃から1950年代まで稼働していた世界有数規模の
岩塩採掘場で、1978年に世界遺産に登録されています。
見学は、ガイドによるツアーのみ。
日本語ツアーはなかったので、英語ツアーのチケットを購入。
68ズロチ(≒2,415円)
カメラ&ビデオ撮影は有料で、10ズロチ(≒355円)
ちなみに、ポーランド語ツアーのチケット代は49ズロチ。
どうせ英語でも理解できないので、ポーランド語でも良いかなぁと
思ったのだけど、外国人は外国語ツアーを選べ的な雰囲気いっぱいで、
ポーランド語ツアーにしてみるのは諦めました・・・(^^;
英語ツアーの出発は9時から。
少し時間があったので、敷地内をあちこち写真撮影。
これは塩を運んでいた機関車かな。
観光客の入り口。
出発時間の少し前に案内があり、ここで待ちます。
こんな階段を降りて、ヴィエリチカ岩塩採掘場の見学スタート。
つづく
ポーランド・スロバキア・ハンガリー旅行記
5月1日(日)
朝6:15起床、ホテルにて朝食。
この日は、クラクフの南東15Kmほどのところにある
小さな町ヴィエリチカへ行きました。
ヴィエリチカ方面へ行くバスの乗り場は、クラクフ本駅の
前にあるショッピングセンターの裏あたりにあります。
駐車場のようなスペース内で、とても分かりづらいです。
ヴィエリチカ行きのバス停で、
前日アウシュビッツで知り合った日本人の男の子と再会。
せっかくなので、一緒にヴィエリチカ観光をすることにしました。
クラクフ本駅前8:05発→ヴィエリチカ8:25着
バス運賃 3ズロチ(≒106円)
ヴィエリチカ岩塩採掘場。
1250年頃から1950年代まで稼働していた世界有数規模の
岩塩採掘場で、1978年に世界遺産に登録されています。
見学は、ガイドによるツアーのみ。
日本語ツアーはなかったので、英語ツアーのチケットを購入。
68ズロチ(≒2,415円)
カメラ&ビデオ撮影は有料で、10ズロチ(≒355円)
ちなみに、ポーランド語ツアーのチケット代は49ズロチ。
どうせ英語でも理解できないので、ポーランド語でも良いかなぁと
思ったのだけど、外国人は外国語ツアーを選べ的な雰囲気いっぱいで、
ポーランド語ツアーにしてみるのは諦めました・・・(^^;
英語ツアーの出発は9時から。
少し時間があったので、敷地内をあちこち写真撮影。
これは塩を運んでいた機関車かな。
観光客の入り口。
出発時間の少し前に案内があり、ここで待ちます。
こんな階段を降りて、ヴィエリチカ岩塩採掘場の見学スタート。
つづく
12. ホテルアレクサンダーⅡ [2011 ポーランド・スロバキア・ハンガリー]
2011年4月28日(木)~5月6日(金) ポーランド・スロバキア・ハンガリー旅行記
4月30日(土)
アウシュヴィッツからクラクフにバスで戻り、この日の観光は終了。
まだ18時すぎと時間は早かったけれど、雨が降っていたし、
朝3時起きだったので、旅の初めから無理は禁物ってことで・・・(^^;
クラクフ中央(KRAKOW GLOWNY)駅。
クラクフでの宿は、ホテルアレクサンダーⅡ。
エクスペディアで予約。
クラクフ中央駅から徒歩2・3分くらい。
スタンダードルーム 禁煙 朝食付き
1泊 5,825円 プラス税金 1泊あたり1.6ズロチ(≒56円)
窓の外は、線路が目の前!!
2階のお部屋だったので、窓の高さがちょうど電車の高さ。
電車好きの方には、とってもおススメな眺めでした^^
朝食は、朝7時から10時まで。
ホテルアレクサンダーⅡでは2泊したのだけど、
出発日は朝6時にチェックアウトしたので、
朝食は1回しかいただくことが出来ませんでした。
つづく
4月30日(土)
アウシュヴィッツからクラクフにバスで戻り、この日の観光は終了。
まだ18時すぎと時間は早かったけれど、雨が降っていたし、
朝3時起きだったので、旅の初めから無理は禁物ってことで・・・(^^;
クラクフ中央(KRAKOW GLOWNY)駅。
クラクフでの宿は、ホテルアレクサンダーⅡ。
エクスペディアで予約。
クラクフ中央駅から徒歩2・3分くらい。
スタンダードルーム 禁煙 朝食付き
1泊 5,825円 プラス税金 1泊あたり1.6ズロチ(≒56円)
窓の外は、線路が目の前!!
2階のお部屋だったので、窓の高さがちょうど電車の高さ。
電車好きの方には、とってもおススメな眺めでした^^
朝食は、朝7時から10時まで。
ホテルアレクサンダーⅡでは2泊したのだけど、
出発日は朝6時にチェックアウトしたので、
朝食は1回しかいただくことが出来ませんでした。
つづく
11. ビルケナウ強制収容所2 [2011 ポーランド・スロバキア・ハンガリー]
2011年4月28日(木)~5月6日(金) ポーランド・スロバキア・ハンガリー旅行記
4月30日(土)
ビルケナウ強制収容所の続き。
収容所敷地の奥のほうにあるガス室や焼却炉の跡。
第2次大戦末期、戦争犯罪を隠滅するために解体されたり、爆破されたり
したため、原形を留めているものはありません。
ビルケナウ強制収容所には、ガス室・焼却炉は6棟もあったとのこと。
線路の端には、お花が添えられていました。
ナチス政権下犠牲者の国際慰霊碑。
歴史は繰り返されると言われますが、絶対に起こしてはなりません。
慰霊の碑文。
色々な国の言葉で書かれたものがあったけれど英語のものを撮影。
「この地で150万人もの方々が亡くなったことを後世に伝える。」
この後、敷地のいちばん奥にある「サウナ」と呼ばれた建物まで行く予定
だったけれど、雨が降って来て、風も強く、雷もゴロゴロしていたので、
ここで切り上げることにしました。
これで、ビルケナウ強制収容所の見学は終了。
無料シャトルバスでアウシュヴィッツ強制収容所まで戻りました。
その後、16:20発のバスに乗り、クラクフまで帰って来ました。
クラクフ駅前に到着したのは18:10でした。
つづく
4月30日(土)
ビルケナウ強制収容所の続き。
収容所敷地の奥のほうにあるガス室や焼却炉の跡。
第2次大戦末期、戦争犯罪を隠滅するために解体されたり、爆破されたり
したため、原形を留めているものはありません。
ビルケナウ強制収容所には、ガス室・焼却炉は6棟もあったとのこと。
線路の端には、お花が添えられていました。
ナチス政権下犠牲者の国際慰霊碑。
歴史は繰り返されると言われますが、絶対に起こしてはなりません。
慰霊の碑文。
色々な国の言葉で書かれたものがあったけれど英語のものを撮影。
「この地で150万人もの方々が亡くなったことを後世に伝える。」
この後、敷地のいちばん奥にある「サウナ」と呼ばれた建物まで行く予定
だったけれど、雨が降って来て、風も強く、雷もゴロゴロしていたので、
ここで切り上げることにしました。
これで、ビルケナウ強制収容所の見学は終了。
無料シャトルバスでアウシュヴィッツ強制収容所まで戻りました。
その後、16:20発のバスに乗り、クラクフまで帰って来ました。
クラクフ駅前に到着したのは18:10でした。
つづく
10. ビルケナウ強制収容所1 [2011 ポーランド・スロバキア・ハンガリー]
2011年4月28日(木)~5月6日(金) ポーランド・スロバキア・ハンガリー旅行記
4月30日(土)
アウシュヴィッツ強制収容所の次は、ビルケナウ強制収容所へ行きました。
ビルケナウは、アウシュヴィッツから3kmほど離れたブジェジンカ村に作られた
アウシュヴィッツよりも大規模な強制収容所。
1941年に建設が始まり、1945年にソ連軍によって解放されるまでの間に
百数十万人の命が奪われた場所。
アウシュヴィッツからビルケナウまでは、30分毎に無料のシャトルバスが
出ています。
「死の門」と言われた入り口のゲート。
「死の門」をくぐって鉄道の引き込み線がまっすぐに敷地内へ。
列車から降りた人々は、すぐに女性・子どもの列と男性の列に分けられ、
さらに、医師が健康な者だけを選り分けたとのこと。
労働可能な人々は収容所に入れられ、老人や病人、妊婦、子どもは
そのままガス室に送り込まれたのだとか・・・。
「死の門」ゲートの見張り塔からの写真。
ビルケナウの敷地全体の様子を眺めることが出来ます。
鉄道の引き込み線の左右の広大な土地に、300棟以上のバラックが
並んでいたとのこと。
向かって左側。 当初はバラックはこちら側だけだったようですが、
向かって右側。 次第にこちら側にも増設されていったのだそう。
遥か先にまで続いています・・・。
バラックが立ち並ぶエリアへの入り口。
高圧電流の流れる有刺鉄線が、これでもかというくらい張られています。
ここには銃を持った見張りがいたのでしょうね・・・。
バラックの大部分は破壊されて残っていませんが、
一部のバラックは当時のまま保存され、内部の見学が可能です。
バラックの周りには、たくさんのタンポポが咲き、黄色と緑の絨毯が
可愛らしい雰囲気を漂わせているのに、
バラック内に入ると、とても重苦しい空気が流れていました。
眺めているだけで恐怖を感じ、すぐに外に出てしまいました。
つづく
4月30日(土)
アウシュヴィッツ強制収容所の次は、ビルケナウ強制収容所へ行きました。
ビルケナウは、アウシュヴィッツから3kmほど離れたブジェジンカ村に作られた
アウシュヴィッツよりも大規模な強制収容所。
1941年に建設が始まり、1945年にソ連軍によって解放されるまでの間に
百数十万人の命が奪われた場所。
アウシュヴィッツからビルケナウまでは、30分毎に無料のシャトルバスが
出ています。
「死の門」と言われた入り口のゲート。
「死の門」をくぐって鉄道の引き込み線がまっすぐに敷地内へ。
列車から降りた人々は、すぐに女性・子どもの列と男性の列に分けられ、
さらに、医師が健康な者だけを選り分けたとのこと。
労働可能な人々は収容所に入れられ、老人や病人、妊婦、子どもは
そのままガス室に送り込まれたのだとか・・・。
「死の門」ゲートの見張り塔からの写真。
ビルケナウの敷地全体の様子を眺めることが出来ます。
鉄道の引き込み線の左右の広大な土地に、300棟以上のバラックが
並んでいたとのこと。
向かって左側。 当初はバラックはこちら側だけだったようですが、
向かって右側。 次第にこちら側にも増設されていったのだそう。
遥か先にまで続いています・・・。
バラックが立ち並ぶエリアへの入り口。
高圧電流の流れる有刺鉄線が、これでもかというくらい張られています。
ここには銃を持った見張りがいたのでしょうね・・・。
バラックの大部分は破壊されて残っていませんが、
一部のバラックは当時のまま保存され、内部の見学が可能です。
バラックの周りには、たくさんのタンポポが咲き、黄色と緑の絨毯が
可愛らしい雰囲気を漂わせているのに、
バラック内に入ると、とても重苦しい空気が流れていました。
眺めているだけで恐怖を感じ、すぐに外に出てしまいました。
つづく
9. アウシュヴィッツ強制収容所3 [2011 ポーランド・スロバキア・ハンガリー]
2011年4月28日(木)~5月6日(金) ポーランド・スロバキア・ハンガリー旅行記
4月30日(土)
アウシュヴィッツ強制収容所の続き。
囚人棟が並ぶエリアからガス室へと向かう道。
逃亡防止のために高圧電流が流れてた有刺鉄線。
強制収容所の周りは、この有刺鉄線で二重に囲まれていたとのこと。
日々の暴力的抑圧に耐えきれなくなり、感電自殺をするために
この電流の流れる鉄線に自ら飛び込む方も多かったのだそう。
ガス室に送られる方がここに整列している写真、ありますね・・・。
ガス室・焼却炉の手前にある絞首台。
アウシュヴィッツ強制収容所の所長だったルドルフの死刑執行は
ここで行なわれたのだとか。
大きな煙突のある「ガス室・焼却炉」。
現在は観光客の出入り口となっている扉、ここで最期を迎えた方々も
ここからガス室へ入ったのだろうか。
「シャワーを浴びるため」と騙されていたので落ち着いた様子で順番を
待っていたとのことだが・・・。
ガス室の内部。
焼却炉。
1台の炉には同時に2・3人の死体が入れられ、1日に350人ほどが
焼かれていたとのこと。
これで、 アウシュヴィッツ強制収容所の見学は終了。
矢印に沿ってインフォメーションセンターに戻り、映像室へ。
収容所がソ連軍によって解放されるシーンやその時に助け出された方々、
ナチス・ドイツの犯罪の証拠などの記録映画が放送されていました。
つづく
4月30日(土)
アウシュヴィッツ強制収容所の続き。
囚人棟が並ぶエリアからガス室へと向かう道。
逃亡防止のために高圧電流が流れてた有刺鉄線。
強制収容所の周りは、この有刺鉄線で二重に囲まれていたとのこと。
日々の暴力的抑圧に耐えきれなくなり、感電自殺をするために
この電流の流れる鉄線に自ら飛び込む方も多かったのだそう。
ガス室に送られる方がここに整列している写真、ありますね・・・。
ガス室・焼却炉の手前にある絞首台。
アウシュヴィッツ強制収容所の所長だったルドルフの死刑執行は
ここで行なわれたのだとか。
大きな煙突のある「ガス室・焼却炉」。
現在は観光客の出入り口となっている扉、ここで最期を迎えた方々も
ここからガス室へ入ったのだろうか。
「シャワーを浴びるため」と騙されていたので落ち着いた様子で順番を
待っていたとのことだが・・・。
ガス室の内部。
焼却炉。
1台の炉には同時に2・3人の死体が入れられ、1日に350人ほどが
焼かれていたとのこと。
これで、 アウシュヴィッツ強制収容所の見学は終了。
矢印に沿ってインフォメーションセンターに戻り、映像室へ。
収容所がソ連軍によって解放されるシーンやその時に助け出された方々、
ナチス・ドイツの犯罪の証拠などの記録映画が放送されていました。
つづく
こちさの旅の記録(2011~2013)
こちさの旅の記録(2014~2017)
こちさの旅の記録(2018~