11. ビルケナウ強制収容所2 [2011 ポーランド・スロバキア・ハンガリー]
2011年4月28日(木)~5月6日(金) ポーランド・スロバキア・ハンガリー旅行記
4月30日(土)
ビルケナウ強制収容所の続き。
収容所敷地の奥のほうにあるガス室や焼却炉の跡。
第2次大戦末期、戦争犯罪を隠滅するために解体されたり、爆破されたり
したため、原形を留めているものはありません。
ビルケナウ強制収容所には、ガス室・焼却炉は6棟もあったとのこと。
線路の端には、お花が添えられていました。
ナチス政権下犠牲者の国際慰霊碑。
歴史は繰り返されると言われますが、絶対に起こしてはなりません。
慰霊の碑文。
色々な国の言葉で書かれたものがあったけれど英語のものを撮影。
「この地で150万人もの方々が亡くなったことを後世に伝える。」
この後、敷地のいちばん奥にある「サウナ」と呼ばれた建物まで行く予定
だったけれど、雨が降って来て、風も強く、雷もゴロゴロしていたので、
ここで切り上げることにしました。
これで、ビルケナウ強制収容所の見学は終了。
無料シャトルバスでアウシュヴィッツ強制収容所まで戻りました。
その後、16:20発のバスに乗り、クラクフまで帰って来ました。
クラクフ駅前に到着したのは18:10でした。
つづく
4月30日(土)
ビルケナウ強制収容所の続き。
収容所敷地の奥のほうにあるガス室や焼却炉の跡。
第2次大戦末期、戦争犯罪を隠滅するために解体されたり、爆破されたり
したため、原形を留めているものはありません。
ビルケナウ強制収容所には、ガス室・焼却炉は6棟もあったとのこと。
線路の端には、お花が添えられていました。
ナチス政権下犠牲者の国際慰霊碑。
歴史は繰り返されると言われますが、絶対に起こしてはなりません。
慰霊の碑文。
色々な国の言葉で書かれたものがあったけれど英語のものを撮影。
「この地で150万人もの方々が亡くなったことを後世に伝える。」
この後、敷地のいちばん奥にある「サウナ」と呼ばれた建物まで行く予定
だったけれど、雨が降って来て、風も強く、雷もゴロゴロしていたので、
ここで切り上げることにしました。
これで、ビルケナウ強制収容所の見学は終了。
無料シャトルバスでアウシュヴィッツ強制収容所まで戻りました。
その後、16:20発のバスに乗り、クラクフまで帰って来ました。
クラクフ駅前に到着したのは18:10でした。
つづく
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