19. 長野 再び善光寺 [2011 長野]
2011年5月21日(土)~5月22日(日) 長野旅行記
ましゃの「長野エムウェーブ」ライヴに参加するため、
長野県へ行ってきました^^ の続き。
戸隠神社から長野駅方面の路線バスに乗り、善光寺大門前で下車。
善光寺は10年前にお参りしたことがあったし、前日にも少しだけ
お参りできていたので「今日はもういいかぁ」と思っていたのだけど、
バスが目の前に停まったら、やっぱりもう一度お参りしたくなって、
途中下車しちゃったのでした・・・(^^;
むじな地蔵。
せんとくんの作者である藪内佐斗司氏の作なのだそう。
確かに、せんとくんに似ているような~。
創建以来、十数回の火災に遭っているという善光寺の本堂。
現在の本堂は、1707年(宝永4年)に再建されたもので、
江戸中期を代表する仏教建築として国宝に指定されているとのこと。
再度お参りして御朱印をいただきました。
長野県長野市 善光寺(ぜんこうじ)
善光寺日本忠霊殿。
戊辰戦争から第二次世界大戦までの戦争で亡くなった約240万柱の
英霊を祀る日本で唯一の仏式霊廟。
経蔵の前にある輪廻塔。
石車(輪廻車)を回すと諸々の苦悩を抜け出すことが出来るとのこと
なので、もちろん回しました^^
天台宗のお寺の本坊、大勧進(だいかんじん)。
延命地蔵菩薩坐像、濡れ仏。
江戸の大火を起こし処刑された八百屋お七の冥福を祈り、
恋人の吉三郎が造立したという伝説があるのだとか。
牛に引かれて善光寺参り。
善光寺上人がお住まいのお寺、大本願。
けっこう寒めの雨の中、戸隠神社でカメラを持ち歩き、
その後、暖かいバスに長時間乗ったからか、善光寺でお参り中、
カメラはずっと曇り気味。
最後の大本願の写真なんて心霊写真のよう。残念。
善光寺でお参りした後は、ホテルに寄って預けていた荷物を受け取り、
長野駅東口からシャトルバスで長野エムウェーブへ。
ましゃライヴ2日目に参加~♪
ライヴ終了後は、長野新幹線で東京に帰って来ました。
長野駅のホームでも東京駅のホームでも、バンドメンバーの皆さんと
お会いできて、とってもラッキーでした^^
==== 長野旅行記 完 ====
ましゃの「長野エムウェーブ」ライヴに参加するため、
長野県へ行ってきました^^ の続き。
戸隠神社から長野駅方面の路線バスに乗り、善光寺大門前で下車。
善光寺は10年前にお参りしたことがあったし、前日にも少しだけ
お参りできていたので「今日はもういいかぁ」と思っていたのだけど、
バスが目の前に停まったら、やっぱりもう一度お参りしたくなって、
途中下車しちゃったのでした・・・(^^;
むじな地蔵。
せんとくんの作者である藪内佐斗司氏の作なのだそう。
確かに、せんとくんに似ているような~。
創建以来、十数回の火災に遭っているという善光寺の本堂。
現在の本堂は、1707年(宝永4年)に再建されたもので、
江戸中期を代表する仏教建築として国宝に指定されているとのこと。
再度お参りして御朱印をいただきました。
長野県長野市 善光寺(ぜんこうじ)
善光寺日本忠霊殿。
戊辰戦争から第二次世界大戦までの戦争で亡くなった約240万柱の
英霊を祀る日本で唯一の仏式霊廟。
経蔵の前にある輪廻塔。
石車(輪廻車)を回すと諸々の苦悩を抜け出すことが出来るとのこと
なので、もちろん回しました^^
天台宗のお寺の本坊、大勧進(だいかんじん)。
延命地蔵菩薩坐像、濡れ仏。
江戸の大火を起こし処刑された八百屋お七の冥福を祈り、
恋人の吉三郎が造立したという伝説があるのだとか。
牛に引かれて善光寺参り。
善光寺上人がお住まいのお寺、大本願。
けっこう寒めの雨の中、戸隠神社でカメラを持ち歩き、
その後、暖かいバスに長時間乗ったからか、善光寺でお参り中、
カメラはずっと曇り気味。
最後の大本願の写真なんて心霊写真のよう。残念。
善光寺でお参りした後は、ホテルに寄って預けていた荷物を受け取り、
長野駅東口からシャトルバスで長野エムウェーブへ。
ましゃライヴ2日目に参加~♪
ライヴ終了後は、長野新幹線で東京に帰って来ました。
長野駅のホームでも東京駅のホームでも、バンドメンバーの皆さんと
お会いできて、とってもラッキーでした^^
==== 長野旅行記 完 ====
18. 戸隠神社 宝光社 [2011 長野]
2011年5月21日(土)~5月22日(日) 長野旅行記
ましゃの「長野エムウェーブ」ライヴに参加するため、
長野県へ行ってきました^^ の続き。
火之御子社から歩いて宝光社へやって来ました。
戸隠神社 宝光社(ほうこうしゃ)。
宝光社 鳥居。
ちょっぴり強面のこま犬くんたち。
社殿までの石段は200段以上あります。
雨ではなく、お天気の良い日に眺めたい景色。
石段を上って、振り返ってパチリ。
戸隠神社 宝光社 御社殿。
神仏習合時代の面影を残す寺院建築の様式を取り入れた権現造り。
お参りした後、御朱印をいただきたかったのだけど、
御祈祷中とのことで、いただくことが出来ませんでした。
バスの時間まで30分くらいしか時間がなかったけれど、
宝光社バス停近くの宿坊楠川さんで、おそばのランチ。
戸隠御膳 1,500円。
美味しいおそばをいただいて、戸隠神社を後にしました。
宝光社宮前13:38発→長野駅14:33着
のバスに乗って、長野駅まで戻るつもりだったのだけど、
急遽予定を変更して、善光寺大門前で下車。
善光寺大門前に着いたのは14:15ころだったかな。
やっぱりもう一度、善光寺を見ておきたくて。
バス運賃 1,050円。
つづく
ましゃの「長野エムウェーブ」ライヴに参加するため、
長野県へ行ってきました^^ の続き。
火之御子社から歩いて宝光社へやって来ました。
戸隠神社 宝光社(ほうこうしゃ)。
宝光社 鳥居。
ちょっぴり強面のこま犬くんたち。
社殿までの石段は200段以上あります。
雨ではなく、お天気の良い日に眺めたい景色。
石段を上って、振り返ってパチリ。
戸隠神社 宝光社 御社殿。
神仏習合時代の面影を残す寺院建築の様式を取り入れた権現造り。
お参りした後、御朱印をいただきたかったのだけど、
御祈祷中とのことで、いただくことが出来ませんでした。
バスの時間まで30分くらいしか時間がなかったけれど、
宝光社バス停近くの宿坊楠川さんで、おそばのランチ。
戸隠御膳 1,500円。
美味しいおそばをいただいて、戸隠神社を後にしました。
宝光社宮前13:38発→長野駅14:33着
のバスに乗って、長野駅まで戻るつもりだったのだけど、
急遽予定を変更して、善光寺大門前で下車。
善光寺大門前に着いたのは14:15ころだったかな。
やっぱりもう一度、善光寺を見ておきたくて。
バス運賃 1,050円。
つづく
17. 戸隠神社 中社・火之御子社 [2011 長野]
2011年5月21日(土)~5月22日(日) 長野旅行記
ましゃの「長野エムウェーブ」ライヴに参加するため、
長野県へ行ってきました^^ の続き
奥社と九頭龍社をお参りした後、路線バスで中社へ移動。
奥社11:27発→中社宮前11:30着 運賃250円
戸隠神社・中社(ちゅうしゃ) 大鳥居。
大鳥居のそばにある御神木「戸隠の三本杉」のひとつ。
この階段を上がった先に社殿があります。
戸隠神社・中社 御社殿。
お参りして御朱印をいただきました。
長野県長野市 戸隠神社(とがくしじんじゃ)
中社(ちゅうしゃ)
社殿のそばにある「さざれ滝」。
西参道の鳥居。
中社バス停そばにある戸隠の三本杉のひとつ。
中社の近くにある親鸞聖人御旧跡。
中社から歩いて火之御子社にやって来ました。
戸隠神社・火之御子社(ひのみこしゃ) 鳥居。
火之御子社 御社殿。
二股の夫婦杉(二本杉)。
つづく
ましゃの「長野エムウェーブ」ライヴに参加するため、
長野県へ行ってきました^^ の続き
奥社と九頭龍社をお参りした後、路線バスで中社へ移動。
奥社11:27発→中社宮前11:30着 運賃250円
戸隠神社・中社(ちゅうしゃ) 大鳥居。
大鳥居のそばにある御神木「戸隠の三本杉」のひとつ。
この階段を上がった先に社殿があります。
戸隠神社・中社 御社殿。
お参りして御朱印をいただきました。
長野県長野市 戸隠神社(とがくしじんじゃ)
中社(ちゅうしゃ)
社殿のそばにある「さざれ滝」。
西参道の鳥居。
中社バス停そばにある戸隠の三本杉のひとつ。
中社の近くにある親鸞聖人御旧跡。
中社から歩いて火之御子社にやって来ました。
戸隠神社・火之御子社(ひのみこしゃ) 鳥居。
火之御子社 御社殿。
二股の夫婦杉(二本杉)。
つづく
16. 戸隠神社 奥社・九頭龍社 [2011 長野]
2011年5月21日(土)~5月22日(日) 長野旅行記
ましゃの「長野エムウェーブ」ライヴに参加するため、
長野県へ行ってきました^^ の続き。
奥社のバス停近くにある大鳥居から随神門まで歩いて約12分。
その後、杉並木を歩くこと約20分。
奥社の参道後半あたりにある飯縄社。
神聖な雰囲気いっぱいの滝。
たどり着きました~♪
階段上がって右側が奥社(御本社)です。
鳥居をくぐって、
お参り。
そして、奥社のお隣にあるのが九頭龍社。
九頭龍社でもお参り。
奥社と九頭龍社でお参りし、御朱印をいただいて、
また杉並木を歩いて、奥社・バス停まで戻って来ました。
長野県長野市 戸隠神社(とがくしじんじゃ)
奥社(おくしゃ)
九頭龍社(くずりゅうしゃ)
つづく
ましゃの「長野エムウェーブ」ライヴに参加するため、
長野県へ行ってきました^^ の続き。
奥社のバス停近くにある大鳥居から随神門まで歩いて約12分。
その後、杉並木を歩くこと約20分。
奥社の参道後半あたりにある飯縄社。
神聖な雰囲気いっぱいの滝。
たどり着きました~♪
階段上がって右側が奥社(御本社)です。
鳥居をくぐって、
お参り。
そして、奥社のお隣にあるのが九頭龍社。
九頭龍社でもお参り。
奥社と九頭龍社でお参りし、御朱印をいただいて、
また杉並木を歩いて、奥社・バス停まで戻って来ました。
長野県長野市 戸隠神社(とがくしじんじゃ)
奥社(おくしゃ)
九頭龍社(くずりゅうしゃ)
つづく
15. 戸隠神社へ [2011 長野]
2011年5月21日(土)~5月22日(日) 長野旅行記
ましゃの「長野エムウェーブ」ライヴに参加するため、
長野県へ行ってきました^^ の続き
2日目は、ライヴ前に戸隠神社へ行きたくて少し早起き。
ホテルで朝食をいただいて、8:15荷物を預けてチェックアウト。
長野駅よりもホテルに近い昭和通りから戸隠高原行きバスに乗車。
昭和通り8:33発→戸隠神社・奥社9:39着
運賃 1,250円
バスは、往復割引運賃や戸隠高原フリーきっぷなどもあったけれど、
私の予定ではあまりお得感がなかったので、利用しませんでした。
奥社バス停のそばにあった看板。
くまざさソフトクリーム、とっても惹かれたのだけど、
雨が降っていて、なかなか寒かったので、ガマン。
奥社 大鳥居。
鳥居をくぐって、こんな道を歩きます。
お天気が良い日に来たかったなぁ~。
大鳥居から歩いて12分くらいで随神門。
随神門の狛犬くん。
せっかくのお顔が暗くなっちゃいました・・・(^^;
随神門。 奥社まで900mの案内板がありました。
随神門から先は、樹齢400年の巨杉がそびえ立つ並木道。
歩いているだけでパワーをいただける感じがしました。
つづく
ましゃの「長野エムウェーブ」ライヴに参加するため、
長野県へ行ってきました^^ の続き
2日目は、ライヴ前に戸隠神社へ行きたくて少し早起き。
ホテルで朝食をいただいて、8:15荷物を預けてチェックアウト。
長野駅よりもホテルに近い昭和通りから戸隠高原行きバスに乗車。
昭和通り8:33発→戸隠神社・奥社9:39着
運賃 1,250円
バスは、往復割引運賃や戸隠高原フリーきっぷなどもあったけれど、
私の予定ではあまりお得感がなかったので、利用しませんでした。
奥社バス停のそばにあった看板。
くまざさソフトクリーム、とっても惹かれたのだけど、
雨が降っていて、なかなか寒かったので、ガマン。
奥社 大鳥居。
鳥居をくぐって、こんな道を歩きます。
お天気が良い日に来たかったなぁ~。
大鳥居から歩いて12分くらいで随神門。
随神門の狛犬くん。
せっかくのお顔が暗くなっちゃいました・・・(^^;
随神門。 奥社まで900mの案内板がありました。
随神門から先は、樹齢400年の巨杉がそびえ立つ並木道。
歩いているだけでパワーをいただける感じがしました。
つづく
14. ホテル・セレクトイン長野 [2011 長野]
2011年5月21日(土)~5月22日(日) 長野旅行記
ましゃの「長野エムウェーブ」ライヴに参加するため、
長野県へ行ってきました^^ の続き。
「かるかや山・西光寺」でお参りした後、ホテルにチェックイン。
ホテル・セレクトイン長野。
JR長野駅 善光寺口から徒歩5分。
シングル 簡単な朝食付き 1泊 4,100円
翌朝いただいた朝食。
ホテルに到着したのは15時少し前。
このまま長野エムウェーブに向かうには、ちょっと早いかなと思い、
「善光寺」まで行ってみることにしました。
善光寺は、10年前に一度お参りしたことがあったので、
時間がなければ行く予定ではなかったけれど、せっかくなので・・・。
善光寺参道。
仁王門。
山門。
本堂。
15:40、仲見世通りにある「一茶亭」さんで遅いランチ。
天ざる 1,100円
この後、長野駅東口からシャトルバスに乗り、長野エムウェーブへ。
ましゃライヴ1日目に参加~♪
つづく
ましゃの「長野エムウェーブ」ライヴに参加するため、
長野県へ行ってきました^^ の続き。
「かるかや山・西光寺」でお参りした後、ホテルにチェックイン。
ホテル・セレクトイン長野。
JR長野駅 善光寺口から徒歩5分。
シングル 簡単な朝食付き 1泊 4,100円
翌朝いただいた朝食。
ホテルに到着したのは15時少し前。
このまま長野エムウェーブに向かうには、ちょっと早いかなと思い、
「善光寺」まで行ってみることにしました。
善光寺は、10年前に一度お参りしたことがあったので、
時間がなければ行く予定ではなかったけれど、せっかくなので・・・。
善光寺参道。
仁王門。
山門。
本堂。
15:40、仲見世通りにある「一茶亭」さんで遅いランチ。
天ざる 1,100円
この後、長野駅東口からシャトルバスに乗り、長野エムウェーブへ。
ましゃライヴ1日目に参加~♪
つづく
13. 長野 かるかや山 西光寺 [2011 長野]
2011年5月21日(土)~5月22日(日) 長野旅行記
ましゃの「長野エムウェーブ」ライヴに参加するため、
長野県へ行ってきました^^ の続き。
川中島古戦場・八幡社でお参りした後は、バスで長野駅方面へ移動。
14:08発のバスに乗り、14:31に長野駅のひとつ先のバス停
「かるかや山・西光寺」で下車。 運賃460円。
宿泊するホテルはJR長野駅から徒歩5分だけど、地図を見ると、
長野駅前のバス停留所よりもこちらのほうが近そうだったので。
絵解きの寺 苅萱山(かるかややま)西光寺。
慈光門。
本堂。
絵解き拝観に興味はあったのだけど、時間的に苦しそうなので、
境内のお参りだけにしました。
長野県長野市 苅萱山西光寺(かるかややまさいこうじ)
稲荷社。
弘法大師をお祀りしている大師堂(園通殿)。
苅萱道心と石童丸 親子の銅像。
苅萱塚。
左:石童丸の母・千里御前のお墓
中央:苅萱上人のお墓 (信濃七塚のひとつ)
右:石童丸のお墓
善光寺七福神巡りの第1番、寿老人。
つづく
ましゃの「長野エムウェーブ」ライヴに参加するため、
長野県へ行ってきました^^ の続き。
川中島古戦場・八幡社でお参りした後は、バスで長野駅方面へ移動。
14:08発のバスに乗り、14:31に長野駅のひとつ先のバス停
「かるかや山・西光寺」で下車。 運賃460円。
宿泊するホテルはJR長野駅から徒歩5分だけど、地図を見ると、
長野駅前のバス停留所よりもこちらのほうが近そうだったので。
絵解きの寺 苅萱山(かるかややま)西光寺。
慈光門。
本堂。
絵解き拝観に興味はあったのだけど、時間的に苦しそうなので、
境内のお参りだけにしました。
長野県長野市 苅萱山西光寺(かるかややまさいこうじ)
稲荷社。
弘法大師をお祀りしている大師堂(園通殿)。
苅萱道心と石童丸 親子の銅像。
苅萱塚。
左:石童丸の母・千里御前のお墓
中央:苅萱上人のお墓 (信濃七塚のひとつ)
右:石童丸のお墓
善光寺七福神巡りの第1番、寿老人。
つづく
12. 川中島古戦場 八幡社 [2011 長野]
2011年5月21日(土)~5月22日(日) 長野旅行記
ましゃの「長野エムウェーブ」ライヴに参加するため、
長野県へ行ってきました^^ の続き。
典厩寺の次は、川中島古戦場(八幡原史跡公園)へ行きました。
バス停にして2つ分の距離、歩いてみたら20分くらいでした。
川中島古戦場 八幡社(はちまんしゃ)。
鳥居。
鳥居をくぐり振り返ってパチリ。
両脇にある火はニセモノだけど、いい感じです。
旧社殿(鞘堂)。
現在の神殿。
お参りし、御朱印をいただきました。
長野県長野市 川中島古戦場八幡社(はちまんしゃ)
信玄・謙信 一騎打ちの銅像。
昭和44年の大河ドラマ「天と地と」放送記念で建てられたとのこと。
執念の石。
助けに入った武田軍の家臣・原大隅守が謙信を取り逃がした悔しさで
傍らにあったこの石を槍で突き通したと言われているとのこと。
三太刀七太刀之跡の碑。
永禄4年(1561年)の第4次の戦いで、謙信が単騎信玄陣に
切り込み、馬上から信玄をめがけて3度にわたり斬りつけた。
信玄はその太刀を軍配団扇で受け止めたが、軍配には7ヶ所の
刀傷が残っていたという。
首塚(屍塚)。
永禄4年の決戦の後、海津城代の高坂弾正が、一帯に散乱する戦死者の
遺体を敵味方の区別なく手厚く葬ったとされる塚。
つづく
ましゃの「長野エムウェーブ」ライヴに参加するため、
長野県へ行ってきました^^ の続き。
典厩寺の次は、川中島古戦場(八幡原史跡公園)へ行きました。
バス停にして2つ分の距離、歩いてみたら20分くらいでした。
川中島古戦場 八幡社(はちまんしゃ)。
鳥居。
鳥居をくぐり振り返ってパチリ。
両脇にある火はニセモノだけど、いい感じです。
旧社殿(鞘堂)。
現在の神殿。
お参りし、御朱印をいただきました。
長野県長野市 川中島古戦場八幡社(はちまんしゃ)
信玄・謙信 一騎打ちの銅像。
昭和44年の大河ドラマ「天と地と」放送記念で建てられたとのこと。
執念の石。
助けに入った武田軍の家臣・原大隅守が謙信を取り逃がした悔しさで
傍らにあったこの石を槍で突き通したと言われているとのこと。
三太刀七太刀之跡の碑。
永禄4年(1561年)の第4次の戦いで、謙信が単騎信玄陣に
切り込み、馬上から信玄をめがけて3度にわたり斬りつけた。
信玄はその太刀を軍配団扇で受け止めたが、軍配には7ヶ所の
刀傷が残っていたという。
首塚(屍塚)。
永禄4年の決戦の後、海津城代の高坂弾正が、一帯に散乱する戦死者の
遺体を敵味方の区別なく手厚く葬ったとされる塚。
つづく
11. 典厩寺 閻魔堂 [2011 長野]
2011年5月21日(土)~5月22日(日) 長野旅行記
ましゃの「長野エムウェーブ」ライヴに参加するため、
長野県へ行ってきました^^ の続き。
武田信玄の実弟・信繁(のぶしげ)公の菩提寺である「典厩寺」。
本堂。 武田軍の軍旗「疾如風、徐如林、侵掠如火、不動如山」と
上杉軍の軍旗 「毘・龍」が掛けられています。
武田信玄の実弟・信繁(のぶしげ)公のお墓。
信繁公 首きよめ井戸。
武田・上杉両雄一騎打ちの碑。
昭和44年の大河ドラマ「天と地と」の放映翌年に建立された
古戦場の一騎打ちの銅像は、この碑が原画となっているのだとか。
ボケ封じの石。
縁起もの大灯籠(三福かえる)。
彫られている十二支とカエルを触って、若かえる(健康長寿)、
旅かえる(交通安全)、宝かえる(金運招福)なのだそう。
1860年(万延元年)、松代藩八代藩主・真田幸貫の発願により、
川中島合戦300年の記念殿として建立された「閻魔堂」。
日本一大きいという朱塗閻魔大王像。
天井には、三十三体観音菩薩像が描かれています。
閻魔王の地獄での裁きの絵。
つづく
ましゃの「長野エムウェーブ」ライヴに参加するため、
長野県へ行ってきました^^ の続き。
武田信玄の実弟・信繁(のぶしげ)公の菩提寺である「典厩寺」。
本堂。 武田軍の軍旗「疾如風、徐如林、侵掠如火、不動如山」と
上杉軍の軍旗 「毘・龍」が掛けられています。
武田信玄の実弟・信繁(のぶしげ)公のお墓。
信繁公 首きよめ井戸。
武田・上杉両雄一騎打ちの碑。
昭和44年の大河ドラマ「天と地と」の放映翌年に建立された
古戦場の一騎打ちの銅像は、この碑が原画となっているのだとか。
ボケ封じの石。
縁起もの大灯籠(三福かえる)。
彫られている十二支とカエルを触って、若かえる(健康長寿)、
旅かえる(交通安全)、宝かえる(金運招福)なのだそう。
1860年(万延元年)、松代藩八代藩主・真田幸貫の発願により、
川中島合戦300年の記念殿として建立された「閻魔堂」。
日本一大きいという朱塗閻魔大王像。
天井には、三十三体観音菩薩像が描かれています。
閻魔王の地獄での裁きの絵。
つづく
10. 典厩寺 川中島合戦記念館 [2011 長野]
2011年5月21日(土)~5月22日(日) 長野旅行記
ましゃの「長野エムウェーブ」ライヴに参加するため、
長野県へ行ってきました^^ の続き。
真田邸を見学した後は、バスで移動。
12:28、病院前バス停から長野駅方面のバスに乗り、約15分。
水沢典厩寺で下車。 運賃260円。
目的の典厩寺は、バス停から徒歩8分。
道を間違えていないか不安になり始めたころ看板発見。
まわりは、のどかすぎるこんな景色。
川中島合戦ゆかりのお寺、典厩寺(てんきゅうじ)。
武田信玄の実弟・信繁(のぶしげ)公の菩提寺。
拝観料200円なのだけど、お寺の方は誰もおらず、
カウンターの上にあるお皿に200円を置いておけば良いみたい。
平和すぎる日本ならではですね・・・(^^;
でも、誰もいないおかげで、御朱印をいただくことが出来なかったのが、
とっても残念でした。
お地蔵さん。
典厩寺の境内にある川中島合戦記念館。
ここも誰もいなくて、自分で電気を付け、見学後に消灯。
信繁の鎧の下着と刀。
信繁使用の鉄扇、鶴卵の杯。
信繁、愛馬の帯と愛馬の轡(くつわ)。
とても貴重なものばかりだと思うのだけど、
保管状態がビミョーな感じなのは、気のせいでしょうか。
つづく
ましゃの「長野エムウェーブ」ライヴに参加するため、
長野県へ行ってきました^^ の続き。
真田邸を見学した後は、バスで移動。
12:28、病院前バス停から長野駅方面のバスに乗り、約15分。
水沢典厩寺で下車。 運賃260円。
目的の典厩寺は、バス停から徒歩8分。
道を間違えていないか不安になり始めたころ看板発見。
まわりは、のどかすぎるこんな景色。
川中島合戦ゆかりのお寺、典厩寺(てんきゅうじ)。
武田信玄の実弟・信繁(のぶしげ)公の菩提寺。
拝観料200円なのだけど、お寺の方は誰もおらず、
カウンターの上にあるお皿に200円を置いておけば良いみたい。
平和すぎる日本ならではですね・・・(^^;
でも、誰もいないおかげで、御朱印をいただくことが出来なかったのが、
とっても残念でした。
お地蔵さん。
典厩寺の境内にある川中島合戦記念館。
ここも誰もいなくて、自分で電気を付け、見学後に消灯。
信繁の鎧の下着と刀。
信繁使用の鉄扇、鶴卵の杯。
信繁、愛馬の帯と愛馬の轡(くつわ)。
とても貴重なものばかりだと思うのだけど、
保管状態がビミョーな感じなのは、気のせいでしょうか。
つづく
9. 松代 真田邸 [2011 長野]
2011年5月21日(土)~5月22日(日) 長野旅行記
ましゃの「長野エムウェーブ」ライヴに参加するため、
長野県へ行ってきました^^ の続き。
「象山神社」でお参りした後は「真田邸」へ行きました。
松代藩の九代藩主・真田幸教が、参勤交代制度の廃止で江戸から松代へ
戻って来る義母・貞松院の住まいとして、1864年(元治元年)に
建築した松代城の城外御殿。
当時は「新御殿」と呼ばれていたけれど、明治以降は真田家の
私的住居となったことから「真田邸」とも言われているようです。
入場料 大人200円。
武台付玄関。
畳敷きの長い廊下。
表座敷。
見事な庭園。
旧大名屋敷の面影が残る「真田邸」。
とても静かで、のんびり見学できる場所でした^^
真田公園内にある「真田邸」。
写真は、真田邸の入り口から公園の方を撮影したもの。
真田公園にある「恩田木工民親(おんだもくたみちか)像」。
松代藩の家老として、嘘言わぬということを標語として、
困窮した藩の財政を立て直した経世家。
つづく
ましゃの「長野エムウェーブ」ライヴに参加するため、
長野県へ行ってきました^^ の続き。
「象山神社」でお参りした後は「真田邸」へ行きました。
松代藩の九代藩主・真田幸教が、参勤交代制度の廃止で江戸から松代へ
戻って来る義母・貞松院の住まいとして、1864年(元治元年)に
建築した松代城の城外御殿。
当時は「新御殿」と呼ばれていたけれど、明治以降は真田家の
私的住居となったことから「真田邸」とも言われているようです。
入場料 大人200円。
武台付玄関。
畳敷きの長い廊下。
表座敷。
見事な庭園。
旧大名屋敷の面影が残る「真田邸」。
とても静かで、のんびり見学できる場所でした^^
真田公園内にある「真田邸」。
写真は、真田邸の入り口から公園の方を撮影したもの。
真田公園にある「恩田木工民親(おんだもくたみちか)像」。
松代藩の家老として、嘘言わぬということを標語として、
困窮した藩の財政を立て直した経世家。
つづく
8. 松代 象山神社 [2011 長野]
2011年5月21日(土)~5月22日(日) 長野旅行記
ましゃの「長野エムウェーブ」ライヴに参加するため、
長野県へ行ってきました^^ の続き。
長国寺でお参りした後は、象山神社へ行きました。
象山神社の周りは、とてもキレイなところでした。
境内では、佐久間象山生誕200年の大祭が行なわれていました。
佐久間象山は1811年にここ松代町で生まれたとのこと。
隅っこから少しだけ観させていただきました。
象山神社 社殿。
お参りして御朱印をいただきました。
長野県長野市松代町 象山神社(ぞうざんじんじゃ)
心の池。
カエルさん。
象山神社 鳥居。
象山神社は幕末の先覚者・佐久間象山をお祀りした神社と
いうことで、立派な像がありました。
つづく
ましゃの「長野エムウェーブ」ライヴに参加するため、
長野県へ行ってきました^^ の続き。
長国寺でお参りした後は、象山神社へ行きました。
象山神社の周りは、とてもキレイなところでした。
境内では、佐久間象山生誕200年の大祭が行なわれていました。
佐久間象山は1811年にここ松代町で生まれたとのこと。
隅っこから少しだけ観させていただきました。
象山神社 社殿。
お参りして御朱印をいただきました。
長野県長野市松代町 象山神社(ぞうざんじんじゃ)
心の池。
カエルさん。
象山神社 鳥居。
象山神社は幕末の先覚者・佐久間象山をお祀りした神社と
いうことで、立派な像がありました。
つづく
7. 松代 長国寺 [2011 長野]
2011年5月21日(土)~5月22日(日) 長野旅行記
ましゃの「長野エムウェーブ」ライヴに参加するため、
長野県へ行ってきました^^ の続き。
松代城(海津城)跡の次に訪れたのは長国寺。
真田家の菩提寺として創建され、歴代松代藩主の墓所でもある長国寺。
敷地の奥にある真田家霊屋と真田家墓所の拝観は可能だけど、
要予約だったみたい。
曹洞宗真田山(しんでんざん)長国寺。
境内のお参りだけさせていただきました。
長野県長野市松代町 長国寺(ちょうこくじ)
本堂。 屋根の上には真田家所縁の鯱と六文銭。
本堂の扁額。
緑の中に少しだけ見えるのが真田家霊屋。
つづく
ましゃの「長野エムウェーブ」ライヴに参加するため、
長野県へ行ってきました^^ の続き。
松代城(海津城)跡の次に訪れたのは長国寺。
真田家の菩提寺として創建され、歴代松代藩主の墓所でもある長国寺。
敷地の奥にある真田家霊屋と真田家墓所の拝観は可能だけど、
要予約だったみたい。
曹洞宗真田山(しんでんざん)長国寺。
境内のお参りだけさせていただきました。
長野県長野市松代町 長国寺(ちょうこくじ)
本堂。 屋根の上には真田家所縁の鯱と六文銭。
本堂の扁額。
緑の中に少しだけ見えるのが真田家霊屋。
つづく
6. 松代城(海津城)跡 その2 [2011 長野]
2011年5月21日(土)~5月22日(日) 長野旅行記
ましゃの「長野エムウェーブ」ライヴに参加するため、
長野県へ行ってきました^^ の続き。
太鼓門から本丸に入ってみたけれど、建物は何もありません。
江戸時代の様相を忠実に再現した「戌亥櫓台(いぬいやぐらだい)石垣」。
展望台として整備されていて上がることが出来ます^^
戌亥櫓台の上から眺めた本丸。
本丸搦手(裏側)にある「北不明門(きたあかずもん)」。
北不明門の全景。
当時は、天然の要塞である千曲川に接していたとのこと。
再び本丸に戻り、
東不明門前橋。
発掘調査により折れた橋脚が発見されたとのこと。
これで「松代城(海津城)跡」の観光は終了。
松代の街の方へ向かいました。
つづく
ましゃの「長野エムウェーブ」ライヴに参加するため、
長野県へ行ってきました^^ の続き。
太鼓門から本丸に入ってみたけれど、建物は何もありません。
江戸時代の様相を忠実に再現した「戌亥櫓台(いぬいやぐらだい)石垣」。
展望台として整備されていて上がることが出来ます^^
戌亥櫓台の上から眺めた本丸。
本丸搦手(裏側)にある「北不明門(きたあかずもん)」。
北不明門の全景。
当時は、天然の要塞である千曲川に接していたとのこと。
再び本丸に戻り、
東不明門前橋。
発掘調査により折れた橋脚が発見されたとのこと。
これで「松代城(海津城)跡」の観光は終了。
松代の街の方へ向かいました。
つづく
5. 松代城(海津城)跡 その1 [2011 長野]
2011年5月21日(土)~5月22日(日) 長野旅行記
ましゃの「長野エムウェーブ」ライヴに参加するため、
長野県へ行ってきました^^ の続き。
松代駅からまず最初に向かったのは、駅の裏側、松代の街とは
反対側にある「松代城(海津城)跡」。
戦国時代に武田信玄によって築城され、
江戸時代は松代藩主・真田家の居城だった「松代城」。
築城された当時は「海津城」と呼ばれていたようです。
戦国時代から江戸時代初頭までこの地を支配した武田信玄や
上杉景勝などにとって、松代城(海津城)は、北信濃を支配する上での
軍事的・政治的に重要な拠点だったとのこと。
江戸時代末期の松代城のイメージ図。
お城は明治の廃城により壊され、石垣を残すのみとなっていたけれど、
昭和56年(1981年)に国の史跡に指定され、平成16年(2004年)に、
櫓門や木橋、石垣、土塁、堀などが復元されたとのこと。
お堀。
周辺は、緑がいっぱい^^
太鼓門前橋。
本丸の正面にある「太鼓門」。
海津城址の碑。
つづく
ましゃの「長野エムウェーブ」ライヴに参加するため、
長野県へ行ってきました^^ の続き。
松代駅からまず最初に向かったのは、駅の裏側、松代の街とは
反対側にある「松代城(海津城)跡」。
戦国時代に武田信玄によって築城され、
江戸時代は松代藩主・真田家の居城だった「松代城」。
築城された当時は「海津城」と呼ばれていたようです。
戦国時代から江戸時代初頭までこの地を支配した武田信玄や
上杉景勝などにとって、松代城(海津城)は、北信濃を支配する上での
軍事的・政治的に重要な拠点だったとのこと。
江戸時代末期の松代城のイメージ図。
お城は明治の廃城により壊され、石垣を残すのみとなっていたけれど、
昭和56年(1981年)に国の史跡に指定され、平成16年(2004年)に、
櫓門や木橋、石垣、土塁、堀などが復元されたとのこと。
お堀。
周辺は、緑がいっぱい^^
太鼓門前橋。
本丸の正面にある「太鼓門」。
海津城址の碑。
つづく
4. 上田から松代へ [2011 長野]
2011年5月21日(土)~5月22日(日) 長野旅行記
ましゃの「長野エムウェーブ」ライヴに参加するため、
長野県へ行ってきました^^ の続き。
真田神社でお参りした後、上田駅に戻り、電車で松代へ移動。
上田駅9:47発→屋代駅10:10着 しなの鉄道 430円
屋代駅10:14発→松代駅10:27着 長野電鉄 390円
松代駅に駅員さんがいるのは、電車の発着があるときだけみたいです。
道を尋ねようと2・3分後に駅舎に戻ったのですが、
誰もいませんでした・・・(^^;
つづく
ましゃの「長野エムウェーブ」ライヴに参加するため、
長野県へ行ってきました^^ の続き。
真田神社でお参りした後、上田駅に戻り、電車で松代へ移動。
上田駅9:47発→屋代駅10:10着 しなの鉄道 430円
屋代駅10:14発→松代駅10:27着 長野電鉄 390円
松代駅に駅員さんがいるのは、電車の発着があるときだけみたいです。
道を尋ねようと2・3分後に駅舎に戻ったのですが、
誰もいませんでした・・・(^^;
つづく
3. 上田 真田神社 [2011 長野]
2011年5月21日(土)~5月22日(日) 長野旅行記
ましゃの「長野エムウェーブ」ライヴに参加するため、
長野県へ行ってきました^^ の続き。
上田城跡の次は、真田神社へ行きました。
上田城本丸の敷地内にある真田神社。
眞田神社の文字の上には、真田家の家紋である六文銭。
智恵の神社・眞田神社の由緒について書かれてあります。
お参りして御朱印をいただきました。
長野県上田市 眞田神社(さなだじんじゃ)
真田幸村の赤兜をかたどった赤備え守り兜。
倒木の危険から伐採した推定樹齢450年の御神木「真田杉」が材料。
神社と神社事務所をつなぐ橋の下をくぐって神社裏へ。
神社の裏にある真田井戸。
城北にあった太郎山の砦に通じている抜け穴だったようです。
つづく
ましゃの「長野エムウェーブ」ライヴに参加するため、
長野県へ行ってきました^^ の続き。
上田城跡の次は、真田神社へ行きました。
上田城本丸の敷地内にある真田神社。
眞田神社の文字の上には、真田家の家紋である六文銭。
智恵の神社・眞田神社の由緒について書かれてあります。
お参りして御朱印をいただきました。
長野県上田市 眞田神社(さなだじんじゃ)
真田幸村の赤兜をかたどった赤備え守り兜。
倒木の危険から伐採した推定樹齢450年の御神木「真田杉」が材料。
神社と神社事務所をつなぐ橋の下をくぐって神社裏へ。
神社の裏にある真田井戸。
城北にあった太郎山の砦に通じている抜け穴だったようです。
つづく
こちさの旅の記録(2011~2013)
こちさの旅の記録(2014~2017)
こちさの旅の記録(2018~