10. ビルケナウ強制収容所1 [2011 ポーランド・スロバキア・ハンガリー]
2011年4月28日(木)~5月6日(金) ポーランド・スロバキア・ハンガリー旅行記
4月30日(土)
アウシュヴィッツ強制収容所の次は、ビルケナウ強制収容所へ行きました。
ビルケナウは、アウシュヴィッツから3kmほど離れたブジェジンカ村に作られた
アウシュヴィッツよりも大規模な強制収容所。
1941年に建設が始まり、1945年にソ連軍によって解放されるまでの間に
百数十万人の命が奪われた場所。
アウシュヴィッツからビルケナウまでは、30分毎に無料のシャトルバスが
出ています。
「死の門」と言われた入り口のゲート。
「死の門」をくぐって鉄道の引き込み線がまっすぐに敷地内へ。
列車から降りた人々は、すぐに女性・子どもの列と男性の列に分けられ、
さらに、医師が健康な者だけを選り分けたとのこと。
労働可能な人々は収容所に入れられ、老人や病人、妊婦、子どもは
そのままガス室に送り込まれたのだとか・・・。
「死の門」ゲートの見張り塔からの写真。
ビルケナウの敷地全体の様子を眺めることが出来ます。
鉄道の引き込み線の左右の広大な土地に、300棟以上のバラックが
並んでいたとのこと。
向かって左側。 当初はバラックはこちら側だけだったようですが、
向かって右側。 次第にこちら側にも増設されていったのだそう。
遥か先にまで続いています・・・。
バラックが立ち並ぶエリアへの入り口。
高圧電流の流れる有刺鉄線が、これでもかというくらい張られています。
ここには銃を持った見張りがいたのでしょうね・・・。
バラックの大部分は破壊されて残っていませんが、
一部のバラックは当時のまま保存され、内部の見学が可能です。
バラックの周りには、たくさんのタンポポが咲き、黄色と緑の絨毯が
可愛らしい雰囲気を漂わせているのに、
バラック内に入ると、とても重苦しい空気が流れていました。
眺めているだけで恐怖を感じ、すぐに外に出てしまいました。
つづく
4月30日(土)
アウシュヴィッツ強制収容所の次は、ビルケナウ強制収容所へ行きました。
ビルケナウは、アウシュヴィッツから3kmほど離れたブジェジンカ村に作られた
アウシュヴィッツよりも大規模な強制収容所。
1941年に建設が始まり、1945年にソ連軍によって解放されるまでの間に
百数十万人の命が奪われた場所。
アウシュヴィッツからビルケナウまでは、30分毎に無料のシャトルバスが
出ています。
「死の門」と言われた入り口のゲート。
「死の門」をくぐって鉄道の引き込み線がまっすぐに敷地内へ。
列車から降りた人々は、すぐに女性・子どもの列と男性の列に分けられ、
さらに、医師が健康な者だけを選り分けたとのこと。
労働可能な人々は収容所に入れられ、老人や病人、妊婦、子どもは
そのままガス室に送り込まれたのだとか・・・。
「死の門」ゲートの見張り塔からの写真。
ビルケナウの敷地全体の様子を眺めることが出来ます。
鉄道の引き込み線の左右の広大な土地に、300棟以上のバラックが
並んでいたとのこと。
向かって左側。 当初はバラックはこちら側だけだったようですが、
向かって右側。 次第にこちら側にも増設されていったのだそう。
遥か先にまで続いています・・・。
バラックが立ち並ぶエリアへの入り口。
高圧電流の流れる有刺鉄線が、これでもかというくらい張られています。
ここには銃を持った見張りがいたのでしょうね・・・。
バラックの大部分は破壊されて残っていませんが、
一部のバラックは当時のまま保存され、内部の見学が可能です。
バラックの周りには、たくさんのタンポポが咲き、黄色と緑の絨毯が
可愛らしい雰囲気を漂わせているのに、
バラック内に入ると、とても重苦しい空気が流れていました。
眺めているだけで恐怖を感じ、すぐに外に出てしまいました。
つづく
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